ルールや秩序、計画などに強いこだわりを見せ、それを完璧にやらないと気が済まない。そんな人は周りにいないでしょうか。
例えば、お出かけをするときに、必ず神棚に拝んでから出かけないと事故に遭うと思い、何度も拝む人。
あまり拝み過ぎて、時間に遅れそうになって、かえって車のスピードを上げて疾走するなどの矛盾した行為が見られます。
このような状態がひどくなって、社会生活がスムーズに過ごせなくなるのが強迫性パーソナリティ障害です。本日は、その特徴とチェックです。
また、今日からアドラー心理学を少しずつ解説していこうと思います。
〇本日のテーマ
2.アドラーとはどんな人?
〇以下の流れでお話します
①強迫性パーソナリティ障害の特徴とチェック表(本日)
②強迫性パーソナリティ障害の原因(明日)
③強迫性パーソナリティ障害の者への対応方法(明後日)
④強迫性パーソナリティ障害の治し方(3日後)
※ アドラー心理学はゆっくりと続けて書いていきます。
〇記事の信頼性
記事を書いている私は、心理学分野で博士号を取得しています。
〇読者への前置き
毎日少しずつ人間関係を壊すことになる原因の心理学の記事を書いています。
強迫性パーソナリティ障害の特徴とチェック表
【特 徴】
●自分に対して
●他者に対して
【チェック表】
〇 アドラー心理学1
はじめフロイトから書いていこうと思ったですが、人気の高いアドラー、次にユング・・・と書いていき、最後にジークムント・フロイト(以下フロイト)という流れで描いていこうと思います。
まず、アドラーの人生を俯瞰(ふかん)してから、アドラー心理学の概説をしたいと思います。
【アドラーの生い立ち1】
アルフレッド・アドラー(ドイツ語では、アルフレート・アードラー)は、1870年、ウィーンの近くのルドルフスハイムで、ユダヤ人の父母の間に生まれました。
父親は穀物商を営んでいたとされます。6人兄弟の次男であり、この家族構成(大家族、次男等)が、アドラー心理学の成り立ちに大きな影響を与えたと言われています。
アドラーは幼い頃、声帯が痙攣(けいれん)する病と、「くる病」に苦しんだとされます。また、4歳の時に、肺炎になり危ない状況でした。その頃、3つ下の弟を病気で亡くします。
これらの体験があってから、アドラーは医師を目指したと言われています。アドラーはギムナジウムを経て、1888年にウィーン大学の医学部に入学を果たします。
ウィーン大学を卒業を当初、アドラーは下層階級の多い地区(レオポルトシュタット)で眼科医として開業をします(後に内科医になります)。
開業と言っても診療所で、当時のユダヤ出身の医師は大学での教授になることは難しいと言われています。
・・・明日に続きます。