芸術作品からみた、前期唇期の攻撃と「罪悪感」
幼児期に「罪悪感」を持たなかった人は、罪悪感を得るための行動を取りやすい。
しかし、大人になってから罪悪感を持つことは容易ではない・・・でした。
芸術家などの作品から、人間の心を解明していくのを「病跡学」といい、心理学の一分野です。
芸術作品からみる前期唇期と罪悪感(病跡学)
今回は手塚治虫さんの「火の鳥」という漫画のなかの「鳳凰編」を見ましょう。
「鳳凰編」の前半ですが、実によく「罪悪感」が描かれているストーリーがありました。
ストーリーは、生まれてすぐに父親に抱かれて崖から落ちた主人公は、片腕を失います。
その後、成長した主人公は盗賊になり、多くの人を殺しては財物を奪い暮らします。
ある日、ある女性を無理矢理に自分の妻にします。妻は、主人公に尽くします。
やがて、主人公の腫れた鼻を治すために毒を渡したと、妻が疑いをかけられ、主人公に殺されます。
妻の渡した薬は毒でなかったことがわかります。「悪い妻」として殺した妻は「良い妻と」知り、罪悪感に駆られます。
その後、主人公は仏教に関心を持ち、盗賊をやめて、彫刻に励みます。
生まれて間もない時に崖から落ちたことから、前期唇期にストレスをうけ、主人公は前記唇期に固着したことが分かります。
このことから、大人になって、盗賊となり、唇からの怒りにより、怒りと攻撃を発散していたと考えられます。
主人公は人を殺しては財物を奪い、「罪悪感」を得る絶好の機会を自ら作り出しますが、「罪悪感」をえられません。
しかし、最愛の妻を殺して、罪悪感が訪れます。その後、主人公は変わります。
これは生まれたての赤ちゃんが、「良い母親」を「悪い母親」と思っていたことに「罪悪感」を懐き、前期唇期から抜け出すのと似ています。
パワハラを繰り返して、まわりに迷惑をかける上司や同僚は、この主人公と同じで、罪悪感が必要になります。
実際の話でなく、漫画の中の話ですが、実によく前記唇期のメカニズムを描いています。
「罪悪感」をもてるかが鍵になる
前期唇期は世界が統一されてなく、バラバラの状態に世界が見えます。
このまま大人になると、自分の心が統一されていなくてバラバラの状況にあること。さらに場合よっては相手がバラバラになるまで攻撃したい思いにとらわれます。
自分の心を統一されたもの、相手への攻撃を激しいものとしないためには「罪悪感」が必要になります。
相談コーナー
Q:昔、あるグループから理由のない攻撃に遭ったことがあります。最初は黙って我慢をしていたのですが、こちら側が黙っていると、段々と攻撃がエスカレートしてきました。
とてもつらい状況が続きましたが、何より一番つらかったのが、とても信頼していた真面目な友人までもがグループの中に加わって、私に攻撃を仕掛けてきたことです。
そこで質問ですが、どうして人は、あのような場面になると人が変わって、攻撃をするのでしょうか?
A:パワハラ、いじめを行うことで、段々と罪悪感がうすれていくことが原因として挙げられると思います。特に日本人は「同調圧力」が強くて、他人と違う行動を取ると、今度は自分がパワハラ、いじめに遭うかもしれないなどと思い、パワハラ、いじめに加わります。
集団で行って、いじめ、パワハラになれてくると「罪悪感」がどんどんと薄れてきます。さらに、進むと、退行(子供帰りと今は考えてください。そのうちに説明をします)して、「遊び感覚」でいじめ、パワハラを始めます。
さらに、状態化すると、場合によっては、前期唇期まで、心がさかのぼってしまう可能性があります。
すでに説明をしたとおりに、前期唇期では対象が統一されていなくバラバラの状況です。この時期にまで、心が戻ると、攻撃対象の心をバラバラ、ずたずたにすることが考えられます。
前記唇期からの攻撃をストップさせるのが、罪悪感なのですが、みんなで遊び感覚になって薄れてしまってそれも望めません。この場合は、自分がパワハラ、いじめを受けた証拠を集めながら、様々な機関の支援を借りることと考えます。