フロイトと言う人が、「人間はなぜ繰り返し、自分を損なうことをするのだろう?」というのが、「死の欲動」という考えを導き出しました。
昨日、書きましたが、例えば「遅刻」。よく学生のころ、繰り返し遅刻をする生徒がいましたね。そのたびに先生に叱られたりしていました。
そんなに嫌な思いをするならば、しなければ良いと思いますが、人によっては繰り返します。
また、例えば「戦争」。過去の歴史を振り返ると、戦争をしても幸福になる者などいないと分かっているのに、人間は繰り返します。
戦争という大きなことでなく、ささいな日常の事柄「繰り返される他人の悪口」「繰り返される喧嘩」「繰り返されるいざこざ」など、これらは「死の欲動」の働きと言います。
このように「繰り返され」「(自分や他人を)無価値なもの(無機質なもの)」にしていく行為が、死の欲動の特徴とされます。
フロイトは、この「繰り返される」ことを「反復強迫(はんぷくきょうはく)」と呼びました。
強迫というのは、まるで「取り憑(つ)かれるように」とか、「駆られるように」といった感じです。
よく、車のハンドルを握ると、「駆られるようにスピードを出したくなる」人がいると思います。人の顔を見ると、駆られるように噂話をする人など、そんな状態です。
反復強迫が認められ、自分や他人を台無しにする、これが認められるところに死の欲動が働いています。
この死の欲動をめぐって、死の欲動を認めるか、認めないかの大論争が起こります。
次回に続きます。