人間関係の心理学NO.9 死の欲動4

題名がどうもしっくりこないので、「人間関係の心理学」としました。よろしくお願いします。

「会うたびに喧嘩をして、傷つけあうのも、「強迫的に反復する」ようでしたら、死の欲動から働きと考えてよいと思います。

恋人同士が、なぜか相手を傷つけて、自分も傷ついてしまうのに、会わざるを得ない。傷つくためにまるで会っているような感じですね。

ただ、この「死の欲動」を認めない考え方もあります。「生の欲動」だけがあって、自分や他者を「無価値しようとする」欲動などを認めないとする考えです。

上の例でいうなら、相手(恋人)を「無価値なもの」にしようとしているのではなく、むしろ「価値あるもの」へ高めようとして、失敗しているとも考えることができます。

つまり、「生きようとする力」が、結果的に、物事を無価値にしてしまうという考えですね。

恋人と上手くやっていこうとすることが、結果的に傷つけるという結果になっていると考えます。

遅刻するのも、本当は「寝過ごすことで、眠りと言う快楽を得られる」とか、「気に食わないことは、時間をずらして、自分の都合を押し通せる」という、「生きる力」とも言えます。

「死の欲動」を認めるか、認めないかは、どちらも正しいと言えると考えます。

ただ、死の欲動を認めると、説明が簡便になります。

例えば、何年か前、東京のAという地区で、通り魔事件が起こりました。その犯人は幼児期より親から虐待を受けて、その影響で衝動的に暴力的な行為をずっと続けてきたとされます(虐待を受ける人が、全てそうではありません。誤解がないように)。

そうすると、死の欲動を認める場合、「育ちが暴力をするという装置を作って、死の欲動からエネルギーを受けて犯行に及んだ」と説明できますが、

認めない立場は、「生きたい、自分を何とかしたい」という思いが、失敗をして犯行に及んだという、難解な心の動きを説明しないとなりません。

シンプルイズベストで、「死の欲動」に立つと、「駆られるように相手を無価値にする行為」が簡便に説明できます。

ただ、けして「生の欲動」だけで説明することを否定するわけでありません。

次回に続きます。

 

 

ターボん について

博士(心理学)、公認心理士、臨床心理士 カウンセリングを通して、さまざまな人の悩みの解決にかかわってきました。ブログを通して、様々な心理学の事象に答えていければと思っています。 申し訳ございませんが、時間の関係上、多数の人からのコメントに返答できないので、コメントができないようになっています。よろしくお願いします。
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